猫の手を借りてステップ

たゆたう海月の日々あれこれ

頭の中で疲れたなぁ、って言葉がずっと浮かんでる。考えたり感じたりするでもなく、意識の間みたいな部屋の欄間に「つかれたなぁ」って黒々した文字がぺって貼ってあって、それを目にし続けている感じ。疲れているのかどうかさえわからない。ぐったりとした気持ちがいったい疲労なのか別の感覚なのか。

慣れない実用書を読み続けている

友人と分厚くてふわふわのパンケーキを食べに行った。回転焼きみたいにころんとしていて、食べるとほどけるように消えていくやさしい食べ応えのやつ。チョコレートソースもホイップクリームもできあいじゃなくて、ドイツ茶葉のおいしいロイヤルミルクティがあって、店内は少し寒いけれど店員さんの配慮があって、とても良いお店だった。

でもパンケーキとしては噛みごたえのあるものの方が好きだな。ふわふわタイプは初めて食べたけれど、わたしは卵よりも小麦の味がするものがいい。あと久しぶりにまともに一食分摂ったものだから胃も腸も痛い。かえってハワイアンなしっかりパンケーキを食べたい気持ちになっているのにしばらくはダメかも

 

ひとと会って、話すことは、相手が誰でどんなに楽しい時間であっても、わたしにとっては消耗になってしまう。心遣いがうれしくて、それを伝えたいから会いたいと思うし、まちがいなくありがたいことなのだけど、それはどうしようもなくて、帰ってくると疲れている。そういうシステムで動いている体だから仕方ないのだけど、願わくば刺激で充電されるタイプに生まれたかったな。

 

モグワイのライブに行くかまよってる。

めはなくちから夜が染み込む

1か月で6キロほど落ちて15年ぶりに多少体が軽い。痩せたくて運動したり我慢して食事を減らそうと試みたってちっともうまくいかないのに、こころがつらければこんなにあっさり削げ落ちていくのだからいろいろ甲斐がない。いったん落ち込みきって、すこし食欲は感じるのだけど体内に消化物のある感じがしんどくてチョコレートばかり食べて甘い飲み物を飲み続けている。言うまでもなく体によくない。砂糖って依存性高いよね。


自分はどんな人間か?ということを久しぶりによくよく考えている。どういう傾向があって、なにをできるのか、できないのか。好むのか忌避するのか。夜遅くに染まったような雨の湿気を吸い込みながら、本の匂いのするカフェで人もまばらな往来を眺めること。ぼんやりとバスを待ちながら、わたしは本来こういう時間を欲しているのだったと思い出し、それを失って代わりに何を得ているんだろう。

いま発想としては両極端のまんなかにいて、失敗ばかりの生き方をいい加減思い切り舵を切って別人のように向上を目指していくべき限界なのか、諦めきれないものに時々痛みをおぼえるのをやり過ごしながらゆっくりゆっくり死ぬまで生きることを受け容れるのか。いつもくよくよ悩んでいるわりには、この右か左かの岐路には立ったことがなかった。

変わりたいような変わりたくないような、変われないような疲れたような、飽きてしまって退屈なような。

考えることはたくさんある。焦っても仕方のないポイントを過ぎてしまったので、それでも早いに越したことはないのだろうけどバタバタしてうまくいったこともないし、ダラダラ先延ばしにするのと違う、きちんとケリがつくまで考えることをしなければ。

縫い目の破たん

20代が後半になった頃、自分はきっと30になれば気が楽になると思っていた。実際なってみると、しがみつけるものもなく言い訳もできず、変わらない幼さを指摘され、これ以上ないほど低い自己肯定感の中でやってきた二度ないだろうめぐり合わせを取ることができず、生きているのがより辛い。しんどい。マジかこの期に及んでこんな目にあうのかってなんかもう頭も悪くなっちゃうよね。もともとよくないけど。

気付いたのは、なにかしら自分というものに因ったなにかを持てる気でいたのだなぁということ。研けば使えたものも無くはなかったのかもしれないけれど、けっきょくダラダラ生きてきて持ち駒などなにもない。ことばも、身体も、なに一つ専門的には扱えない。


コンプレックスだらけで好きじゃないから知らんわと思ってきたけど、いよいよもう外見しか評価されるところがなくて(それもあらゆる他の要素がすべてあまりも粗末だというその中で)、とりあえずこぎれいにしておくのだけど最終的に人間性がこんなんだから、近づかれるわりに踏み超えてはもらえない


息吹く音に埋もれる

あと半年ほどで30になる。30年かけてすっかり空っぽになったなぁと改めて感じる。いや、十代の頃はそれなりに自分のなかを掘削していたように思うので、正しくはこの10年くらいかな。石も油田も温泉も出なかったのよ、残念ながら。掘るとこ間違ったのか方法を誤ったのか不毛の地だったのかわからないけども。

 

自分のなかに何もないからこそ、想いや物語を丸ごと体の中に入れて、大げさに感動したり共鳴したりするのかもしれないけど。というのは昨日ライヴ観てて思いついたこと。ふだんがらんどうの胸のなかに、どれだけ彼らの音が響くことか。フラスコに水が満ちて、細くなった首を越えて溢れるみたい。もうこれくらいしか残ってないんだよ、と思ってくるしかった。縋りついてみっともないけど、心の中だけだからゆるしてね。

 

作ってしまったしがらみの清算がしばらく終わらないから、それをお支払いするとして、そしてわたしは迷惑をかけることなく終わっていけるのかしらと、それが心配。ややこしい年寄りになったらどうしよう。ままならない身になったりしたら、いやだなぁ…

 

死ぬまでの空白を埋めるだけのことなのだから、と思う。なにも大したことないやって。

生まれた瞬間が100で、生きたぶんだけ目減りしていく。それを目の当たりに見るのがつらいだけ。

 

 

 『シュガータイム』小川洋子

文章の湿度が高い。終盤に唐突にでてくるタイトルワードが浮いているような気がする。


『密やかな結晶』小川洋子

小川さんでなければこんな物語作れないのではないかと思う。この人の持つ世界がとても好き。上のもだけど時々あまりにも女性的な湿度の高さが重たいことがあって、この粘性があってこそなのか…

 

『夜明けの縁をさ迷う人々』小川洋子

『刺繍する少女』小川洋子


『ギフテッド』山田宗樹

こういうのあまり読まないからかもしれないけど、すごく稚拙に感じた…読み口が軽妙なのと、深みがないのとは違う。物語の環も閉じてないし、いくらでも掘り下げて書けそうな題材なのにもったいない。


『クリスマスキャロル』ディケンズ

訓話も古典だとすんなり読める。聖書圏の人たちにとって当たり前の、神様やイエスキリストという感覚がやっぱりわからないので、たくさん触れるしかないのかなぁ。

 

銀の匙中勘助

美しい文章が淡々と綴られているだけ、そのだけ、の力がすごい。穏やかな日々をパラパラめくっていく中で色が煌めくよう。生まれて初めて桃にドキドキした。

 

『死後の恋』夢野久作

『まちあわせ』柳美里

 

 

頻度が下がっていつ何を読んだのかわからなくなってきたので箇条書き。追記します。