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猫の手を借りてステップ

たゆたう海月の日々あれこれ

息吹く音に埋もれる

あと半年ほどで30になる。30年かけてすっかり空っぽになったなぁと改めて感じる。いや、十代の頃はそれなりに自分のなかを掘削していたように思うので、正しくはこの10年くらいかな。石も油田も温泉も出なかったのよ、残念ながら。掘るとこ間違ったのか方法を誤ったのか不毛の地だったのかわからないけども。

 

自分のなかに何もないからこそ、想いや物語を丸ごと体の中に入れて、大げさに感動したり共鳴したりするのかもしれないけど。というのは昨日ライヴ観てて思いついたこと。ふだんがらんどうの胸のなかに、どれだけ彼らの音が響くことか。フラスコに水が満ちて、細くなった首を越えて溢れるみたい。もうこれくらいしか残ってないんだよ、と思ってくるしかった。縋りついてみっともないけど、心の中だけだからゆるしてね。

 

作ってしまったしがらみの清算がしばらく終わらないから、それをお支払いするとして、そしてわたしは迷惑をかけることなく終わっていけるのかしらと、それが心配。ややこしい年寄りになったらどうしよう。ままならない身になったりしたら、いやだなぁ…

 

死ぬまでの空白を埋めるだけのことなのだから、と思う。なにも大したことないやって。

生まれた瞬間が100で、生きたぶんだけ目減りしていく。それを目の当たりに見るのがつらいだけ。

 

 

 『シュガータイム』小川洋子

文章の湿度が高い。終盤に唐突にでてくるタイトルワードが浮いているような気がする。


『密やかな結晶』小川洋子

小川さんでなければこんな物語作れないのではないかと思う。この人の持つ世界がとても好き。上のもだけど時々あまりにも女性的な湿度の高さが重たいことがあって、この粘性があってこそなのか…

 

『夜明けの縁をさ迷う人々』小川洋子

『刺繍する少女』小川洋子


『ギフテッド』山田宗樹

こういうのあまり読まないからかもしれないけど、すごく稚拙に感じた…読み口が軽妙なのと、深みがないのとは違う。物語の環も閉じてないし、いくらでも掘り下げて書けそうな題材なのにもったいない。


『クリスマスキャロル』ディケンズ

訓話も古典だとすんなり読める。聖書圏の人たちにとって当たり前の、神様やイエスキリストという感覚がやっぱりわからないので、たくさん触れるしかないのかなぁ。

 

銀の匙中勘助

美しい文章が淡々と綴られているだけ、そのだけ、の力がすごい。穏やかな日々をパラパラめくっていく中で色が煌めくよう。生まれて初めて桃にドキドキした。

 

『死後の恋』夢野久作

『まちあわせ』柳美里

 

 

頻度が下がっていつ何を読んだのかわからなくなってきたので箇条書き。追記します。

いつになく意識がふわふわしていて、ん?これは夢か?起きているのかきちんと?と考えているのだけど、いまのところ途切れることもなく続いているので、たぶん起きてる。きっとさまざまに気を取られているせい。あれもこれも取りたいからだ。

 

ぼんやりしていると気づけば昔のことを想っている。マクドナルドでバイトしていた高校生の頃に大学生の先輩が怖かったこととか。その先輩の歳もとうに通り過ぎてしまって、何を言われたってせいぜいハタチくらいの女の子なのに、何を怯えていたんだろうなぁと思う。そして色んなことが希釈されて密度が下がってゆく時間の重なりがまた明らかになって、ため息が出てしまう。これはそのうち乗り越えられるんかな。

血が薄くなり骨密度が下がるように、髪が減りからだが弾まなくなるように、時間がおとろえていく。済ませた時間が増えるほど、迎える時間の分母が増えて、小さく小さくなっていく。それをじっと見つめてる。途切れない蟻の列を眺めるみたいに。

 

かなしくない。おそろしくもない。虚しいなぁと思う。いくら理由や諦めをこしらえて持ってきたところで、「それで?」という問いがずっとプカプカ浮かんでいる。

何を見て、どこへ歩いていけばいいのかなぁ。

眠りたい、とろりとした粘着質の液体に目も鼻も口も塞がれて、縦も横も奥行きも時間もないところに行きたい。

みゃくらくなく

享受できたものに背を向けて、あらゆるものを切り捨てて切り捨てて、ただひたすら追い求めてきた、その姿勢が美しいと思う。削り取った肉や流した血がみえるから恍惚とするのであって、ただ幸運にぽん、と与えられた華やかさはハリボテに見える。

自分がなにひとつちゃんと突き詰めてこなかったから、そういう美しさにどうしようもなく惹かれて、払われた犠牲を想って祈るような気持ちになります。しかもだれもが頑張ったからと成功できるわけじゃないから、それもつらい。でも何かを求め続けたこと自体がとても美しいよ!ってなんかよくわからないけど言って回りたい。報われてほしい。なにいってんだろう?

 

ダンサーやスポーツ選手や作家や、ドキュメンタリーのなんでもないシーンで急に感極まったりする、ということを考えていたはずなんだけれど、はて。

もっと話がずれるけど、キラキラした本番はもちろん素敵だけど、練習風景がいちばん感情としてはぐっとくる。ジャンル問わず練習着というものが好きです。

日々厚くなるカマクラ

ひとりでこなす種類の予定ばかりを休日どころか仕事の前後の時間にまで突っ込んで、とにかく動き続けて考えることをしないようにしている。と、人との距離感のわからなさがオンラインにまで波及してきて、ツイッターを見るのが怖い。自分ではない人の日常がするすると易々と入ってきすぎて、胸のあたりでクルクルするのをどうしていいかわからない。このままだとほんとに孤独死するタイプのめんどくさい年増になりそう。さいきんのこの世界との折り合いの悪さはなんだ。

 

半年くらいで!仕事辞める!と決意を新たにした本日。歴代辞職されたみなさんは9割8分くらい辞めるにあたって大揉めに揉めているので、それを乗り越える労力と続ける精神力の天秤の傾きをずっと見ているのだけども、カツーンと行った。もう辞める。ちなみにスムーズに退職した残りの2分は寿退社と親を殺すレベルの盛大なウソです。

濃い案件は妙に濃いものの基本的には楽な仕事だけども、いくら楽ちんでも底意地悪い人間に付き合う対価はもういいや…悪意とか敵意とかでもなく、ほんとにただただ意地が悪い。そういうの苦手。

年齢的にフラフラしてゆるされる歳ではないことがここ最近の憂うつのテーマのはずなのに、矛盾しているようだけど、早くしないと本当に退路がなくなる。何をするにしてもリミットがすぐそば、ということに気づいててよかった。はよ逃げねば。そもそも今の所が安定しているわけでもないし。

 

どんどんダメ人間が加速しているような気がするけど!春ツアー行けるかな!!

でも

有村竜太朗初めてのソロライヴに行ってきた。

 

いつも思うことだけど、改めて、生で観て聴いてこそ映えるひとだなと思う。歌唱力があるほうでもないし、歌詞飛んじゃうし、好みの別れる声だし、歌をうたうだけの人ならあんまり上手じゃないかもしれない。でも演者としてそこに居るときの、佇まいがあまりにも独特。あの空気感が出せるひとはいない。有村竜太朗さんに惹かれるなら、ぜひあれをみてほしいなぁ。本当に酔う感じがするの。うまく言えないけど。

何でもそりゃあライヴがいいに決まってる!かというとそうでもないなと思うことがある。音源の方がいいとまでは言わずとも、ライヴで見る良さがわからなかったり。だもんで、今日は特にそう思って観てました。

 

アコースティック聴いてる時は凡庸みたいだなと思ってのんびりしていたのだけど、デモンストレーションずが出てきてからのかっこよさに圧倒された。なにあれずるい。プラだと、音の中である位置を占めて漂っている印象のボーカルが、今日は音の洪水の合間からあの柔らかな声がすり抜けてくるようで、とても新鮮だった。あとはずっと凡庸行ってないから久しぶりのヒロさんで、彼のコーラスの親和性がとても好きなので聴けて嬉しかったです。あの魚座AB型コンビの関係も好き。

 

ソロ活動は今後も継続するのかしらどうかしら。

実験ということで見られて良かったなぁと思いつつ、動向が気になるところ。

やっぱりプラが好きだよー、と、めんどくさいことを言っておきます。

粘液の中で呼吸する

年末年始にかけて、とことん不安になってとことん脳内ヒステリーを起こしていたところ、気が済んだのかここ数日浮上してきました。たぶん同じことを考え続けることに飽きて。なんかもう…まぁいっか、という感じ。

じっとしているのが怖い感覚があって、あっち行ったりこっち行ったりいろんなこと始めてみたり、落ち着きはないけれど気はまぎれる。ごろごろしながらスマートフォンを握りしめていると確実に穴に落ちるので、そういう時間を作らないように気を付けています。前はあまりに体力が無くて、仕事から帰ったらベッドから出られない体たらくであったので、そこはだいぶ付いてきたかなと思う。落ち着きがない話の流れで最近ものすごく運動してます。

 

近々有村さんのソロの方のライヴなので、プリン髪も直して、きちんとせねばー

ソロアルバムは本当にプラから有村竜太朗を抽出しました!という味わいだなぁと思う。改めて、プラって4人の色が混ざってあの音なんだなぁって。安心もして、でも中にはプラで聴きたかったと強く思う曲もあって、難しい。

やっぱりプラは特別。(結論がうまく出なかっただけです)