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猫の手を借りてステップ

たゆたう海月の日々あれこれ

一本締め

記事の下書きはたくさんあるのに、まとめきれないまま年越しを迎えてしまった!書いているうちに考えがぶれてきたり上手く言葉にできなくなったり、ある程度きちんと文章にしようと思うと難しい。いえ特にたいしたことを表現しようと思っているわけではないのですけど。スマートフォンだと思考に入力が追いつかないのも途中でわけわからなくなってしまう原因のひとつで、かといってあまりパソコンに向かう時間もないしなぁ…

 

せっかくなので一年を締めます。

 

2016年はというと、びっくりするくらい印象のない年。何を思って何をしていたんだか全然憶えてない。2015年に始めたことをそのままに、煮詰めるでもなく惰性できちゃったなぁという気がします。そして年末に向かう雰囲気の中で、若い時間の終わりに急に焦りを覚えて、いま毎日冷や汗脂汗をかいているところ。どうしよう。

年末に重い話もどうかと思うけれども、今のところわたしは生きている意味や生まれた意味というものは全く無くて、偶然発生した生活を1日1分1秒塗り潰していかなければならないもの、そして終わっていくものだと思っている。そこに意味を求めるから不甲斐なさが辛いし、みじめになるのだと。そう考えているのですけど、ただあんまり自分自身できちんと取り込めていなくて、やっぱり非生産的な自分の存在にうんざりして落ち込む毎日。いっそ消えちゃいたい。

そういうのってただの弱い気持ちだということも、知ってはいるんですけどねぇ…強くなれんなぁ。

ただそういう毎日の中でもプラに会えたら心から感動して、少なくとも今生でこの人たちと生きられてることは間違いなく幸せなことだと思うので、本当に長いことプラに救われ続けているのでした。

 

現実逃避かもしれないけれど、今年を終えるに当たって結論としてはサラリーマンほんと向いてない。この年でなにも生み出す術を持たずになに言ってんだというところだけども、生産的なことをして生きたい。ので、来年はじっとせずにちょっとわがままをしてみようかと、今この瞬間は思っている。火がつくのが遅いんだよね!

憂うつ人間ながらも海月さんをはじめ、ツイッタなどでご縁を頂いた方々には素敵な気持ちをたくさんたくさんもらって、運はないけど人に恵まれる人間だと改めて感じました。大切な箱庭。これは絶対になくしてはいけないものだから、大事に持って、来年のお迎えを。

さて今日で一区切り。続きのようで続きじゃない明日はまたあとで。